塩屋のウェブなのに、ろくに塩の話がないので、たまには塩づくりの話を書きたいと思います。

塩づくりをはじめて9年。ほとんど塩を作っていない時期もあったけど、どんな塩をつくりたいか、どんな塩をつくるべきか?とずっと悩み模索してきました。
どんなにいいと思える塩をつくってもそれが完璧ということはないし(というか塩に完璧なんてない)もっとこうすれば良かったかなという、微妙な悩みは永遠に尽きないだろう。
それでも、ブレながら、ズレながら、概ねの方向性は定まってきたと思う。

まず塩づくりの自分史振り返ると、順を追って、

(1)とりあえず、自分が美味しいと思う塩をつくった。自然海塩らしく、カルシウムも少し残しつつ、にがりも少し。粒も大きめ。感覚としては、割と口当たりも円やかで、柔らかい塩だ。

(2)その後、正統派の塩づくりや、マクロビ的な食の考え方の影響を受けて、もう少しはっきりした強い塩に傾倒。ニガリも増やした。円やかで柔らかい塩は評判がよく、強い塩は多くの人には不評だった。結局、柔らかい塩とやや強めの塩を2種類つくって販売。

(3)より良い海水を求めて、大隅半島に移住。大隅は山も豊かで、海もキレイで素晴らしい海水だった。これまでステンレスの釜を使っていたが、チタン製釜にかえる。

(4)塩を何種類も炊き分けるのが面倒になったのと、そもそも、至高の塩みたいなことって、くだらないことのように思えたので、作る塩は1種類に絞ることにした。この頃から、こだわりの塩から、もっとカジュアルな塩に。(正確には自分なりのこだわりは変わらないが、それを表には出さない。こだわりを表に出したり、ブランディングしたり、付加価値を付けることは、カジュアルさから離れる。もっと普通に何気なく使ってもらえる塩へ)

(5)食材を活かすのが塩の役割。「よい食材を、よい塩で食べることが、最高に美味しい。素材に勝るものはなし」という塩づくりの原点に回帰。しかし、問題は良い食材とは何か?合わせる食材の何たるかによって、塩のあるべき姿が変わってくる。

という流れ。たぶん。

今日は、(5)の食材を活かす塩の話を書きたいと思います。

食材を活かす塩といっても、最近は、その食材も問題を感じるようになりました。
以前から漠然と頭では理解していたことだけど、今どきの世の中の食材は、中身がスカスカです。
本当にしっかりと味がのった食材を度々食べて、何度も何度も食べて、味覚が積み重なってようやく実感をもって分かるようになってきたけど、例えば野菜の旬といっても、いい畑でとれた、旬の中でも一番味ののったタイミングの野菜って、本当に美味しい。これは、もう料理をする必要がないくらい美味しい。まさに、素材に勝るものはなく、少しのいい塩があればいいという世界です。
農薬で土地は痩せ、品種改良と化学肥料で見た目はいいが中身は薄く、旬もなにもない。
いろんな表現があると思うが、味わいが浅い。滋味がない。底力ない。そんな野菜たちです。それは世の標準になってしまった。

計算された肥料、正確な水管理、栽培から陳列までの低定温輸送、、、見た目も触感もよく、瑞々しい野菜がスーパーに並ぶようになったけど、そこには滋味がない。
滋味や底力のない野菜には、マイルドで柔らかい塩が合う。これが、僕が直面している、食材と塩の問題です。

野菜を例にしたければ、肉も魚も一緒です。食肉はほぼ全てが量産畜産肉、なるべく少ない餌と短い期間で、脂の乗った大きな動物を育てるか、それが畜産ビジネス。
魚も養殖の質があがったことと、水産資源が枯渇しつつある今、養殖で安定生産しないと持続可能じゃないこともあり、今後は養殖が増えるでしょう。

野菜も肉も魚も卵も、何から何まで経済生産物。効率化の宿命の中で、中身がスカスカになってしまいました。

力強い野菜でスープを作ったときに、始めはこのくらいの塩でいいかな?と塩を入れたけど、煮るほどにどんどんどんどん野菜から旨味がでて、何度も塩を足すという経験はないでしょうか?
旨味がでない野菜と、どんどん旨味がでる野菜、これが食材のポテンシャルの違いだと思います。
旨味がでない野菜は、減塩との相性がいいです。少ない塩で、塩気のバランスが取れる、でも物足りないから、化学調味料で旨味を付ける。これはトレンドです。

でも、こんな世界、全然いいと思えません。
世の食材が薄いので、世の塩に対するニーズは、「円やかで柔らかい塩」です。
だから、もうこのニーズに応えるのは止めました。それが僕の塩づくりの最先端です。

滋味のある食材を広めることと、それに負けず、その食材の底力を引き出せる塩をつくること。9年塩をつくって至った塩づくりの方向性です。

って、ここまで書いて、カジュアルな塩とか言いつつ、全然、カジュアルじゃない現実。
とりあえず、中身の塩としてはストイックに、商品(安く、飾らず、普通な感じ)としてはカジュアルに行きたいと思います。


少し前ですが、「3名の塩職人で塩作り先輩を訪ねる弾丸ツアー」に行ってきました。

訪ねたのは、
海の精の初期メンバーであり、その後、日本で3番目、九州で最初に塩作りを始めた天草塩の会の松本さん。

そして、松本さんのところで7年間修業し、その後長崎県平戸島で塩づくりを始めた海の子の弥彦くん。
一緒に訪ねたのは、天草塩の会で5~6年働らき、ゆくゆくは塩づくりをするらしい加藤笑平と、宮崎でハッピーソルトを炊くネジ。

3人の塩職人とその家族で、九州縦断往復の塩にまつわる弾丸ツアーに行ってきた。
松本さんには塩づくりを始めたころに少しだけお会いしたが、ゆっくりと訪ね話をするのは今回が初めて。

弥彦くんの話は、方々から聞いていて以前からとても興味があったが、なかなか縁がなかった。
どちらも、実にいい塩づくりをしていて感銘を受けたし、とてもとてもよい刺激をもらった。
松本さんの塩づくりは、製塩技術という意味での内容は概ね知っていたけど、今回を話を聞いて一番印象に残ったことは、

松本さんの塩作りの源流は、専売解禁という自分たちが生きていくため、暮らしていく為に必要なものを、自分たちで作る。自分たちの手に取り戻すという社会運動から始まっている。

その話を聞いて、今一度、僕らは、何のために塩を作るのか?ということを問い直すべきだと思った。
解禁から30年、世の中はスカスカの食材と化学調味料に溢れていて、多くの人々が精製塩も味塩も使っている。

人々が心豊かに健やかに生きる為に、暮らしに必要なモノを、自分たちの手に取り戻すという運動が、塩作りだ。

その象徴が塩だった。今だったら、酒とか電気とか、これからの時代はもしかしたら、水になるかもしれない。
改めて、塩作りの源流を垣間見て、我々は、何を取り戻したのだろうかと問われたと思った。

スーパーで世界中の塩が売られるご時世だが、暮らしに必要な塩を、自分たちの手に取り戻すという意味では、何を取り戻したのかとも思う。
平戸・弥彦くんの「海の子」は、しっかりとした塩づくりをしていて、いい塩なんだけど、何といっても安い。

塩の値段について聞いたら「安い方がいいやろ!? 塩作りで金儲けしたら、ガンジーに怒られるで」って言われて、「そりゃーそうだ!」と思った。

今回の塩ツアーで、一番心に残った言葉だし、これからガンジーの塩の行進を胸に、塩作りを続けていきたいと思った。
差し当たり塩の値段は下げないけど、暮らしの自立を取り戻そうと生きる人々の為に、なるべく安く塩を作ること強化していきたいと思った。

「地球の塩」商品製造とは別に、自給的暮らしを目指す人が、一年分の塩を作ることを応援するプログラムをやっていて、今は3家庭だけど、これを増やしていきたいと思います。

年間50kg~100㎏を自家消費する家庭が対象で、毎年続け行くやる気の家庭を応援していければと思います。個別に対応するので興味ある方はご相談ください。