別府市の海岸には、どのくらい自然の海岸が残っているのだろう。
数%の砂浜を残し、後は人口の護岸に埋め尽くされてしまった。
人は、今も昔も、自然と共にあり、自然の恵みで生きてきた。
どんなに、科学技術が進歩しようと、どんなに機械化がすすもうとも、私たちの食べ物は、命なのだ。
森を切り開き、川をせき止め、化石を掘りつくし、遺伝子を弄び、原子力をつつく。
どこで、どんなシワ寄せを産もうと、どんな悲劇を育てようと、人はそれを技術進歩と呼び、歩き続ける。
森の荒廃も、川の下水化も、農薬肥料の汚染も、生活の排水も、工場の汚れも、我々の生活の膿は、全て、水とともに海へ流れでる。
豊後水道の豊かな海の恵みに反し、別府湾は海岸を失い、汚れにに満ちている。
いつまで、我々の生活のツケを、どこかに回し続けるのだろう。
それともまだ、「技術進歩」のツケは、技術進歩で解決しようというのだろうか。
人類はどこに向かうのか。
僕は、海岸が亡くなろうとも、海が汚されようとも、ここで塩をつくる。
日本人は、昔から、「塩」という命の根源を、海水を汲み、火を起こし、炊いてきた。
塩をつくるとは、テトラやラブホやゴミの中で、海を楽しみ、海と共に生きる行為の象徴なのです。
だから、僕はここでも、塩をつくります。
1週間、大分県別府で、(初)アート作家として、塩づくりをモチーフに作品づくりをしています。
Photo by Nakajima Yuta
2 comments to this article
キョン
on 2009年5月29日 at 10:21 AM -
本当の意味の自由や平等って何なんだろう?経済も地球も、もう限界なのに…ゲームの様にボタンひとつでリセットできたら良いのに…でもそれが出来ないから人間で居られるのかもしれない。いつも素晴君には生きるという事を考えさせられる。
土の屋
on 2009年5月29日 at 12:53 PM -
黒潮農場 素晴さま
はじめまして。
別府市浜町で植木鉢などの制作、販売、教室などをしている土の屋です。
黒潮農場のバンが店の前にとまっていて、とても気になりコメントしました。
別府の海岸は本当に可哀想な事になっています。
でも海が傍にあるというのは良いものです。
車が沈んでたり、いかがわしい大人のおもちゃが浮かんでいる、こんな海でも。
塩づくりアートは、今別府で開催中の別府現代芸術フェスティバル2009の関連でやっているのでしょうか?
別府に滞在中でしたら、是非 土の屋にお立ち寄り下さい。